私は旅が大好きです。パリに行った時は国境を越えてオランダやベルギーも訪問し、列車で1晩かけてニースにも足を延ばします。ベルギーの首都ブリュッセルから2時間くらい電車にのって港町オステンドに宿を取り、そこからさらにトラムで1時間海岸線を走ってポール・デルヴォー美術館にも行きました。
国内では北海道が大好きですが、数日あれば札幌を拠点に最北端稚内とか霧の釧路、もちろん函館なども回りますし、海路で小樽から上陸した時はできるだけ増毛にも立ち寄りたいと思います。
ちょっとトイレに行きたくなってきました。失礼……トイレのついでに冷蔵庫に寄って飲み物を取ってきます。
さてみなさんお気づきだろうか。どこかに行ったついでに他の場所に寄ったり他の用事も一緒にしたりすることは日常茶飯事です。しか~し、例えばトイレに行ったついでにバルセロナにも立ち寄ろうとか、スエズ運河を見た帰りに札幌味噌ラーメンを食べて帰ろうかとかならないのはどうしてなのか。不思議だと思いませんか?
もちろん、フランスまでの交通費をかけているのだから、別の機会にオランダに行くよりその時にまとめていった方がお金や時間がかからない、ということかもしれません。でもそれなら、ものすごくお金持ちで時間もある人はその都度行きたい所だけに行けばいいのですが、そうでもないですよね。それに、スエズ運河を見て大阪に帰ってきて後日札幌に行くよりも、スエズ運河の帰りに札幌経由大阪行き(ないと思いますが)の飛行機にした方がお金も時間も節約になるはずですが、それもしません。
実家に住んでいた頃は、トイレの帰りに冷蔵庫くらいは寄れますが、トイレの帰りに2階に上がってものを取ってくるのなんてものすごく面倒だったのを覚えています。どういうことでしょうか。特急で何時間もかけてフランスからオランダに行くよりも、2分とかからない2階に行く方がいやなのですよ!! 出発地点であるリビングからトイレに行った時よりも、日本からフランスに行った時の方が何倍も疲れているのにもかかわらずです。
これはもはや、お金の節約や時間管理、体力といった単純なことでは片づけられない問題です。よくよく考えて私は「人間は、移動した距離に比例する行動半径のことには負担を感じにくい」という法則にたどり着きました。リビングからトイレへの移動が6メートルで、冷蔵庫に寄るのがトイレから半径3メートル以内に収まるので負担を感じない(移動距離1:行動半径0.5)日本からパリまで約1万キロメートルだから、パリからブリュッセルの約300キロメートルなんか屁のカッパ(移動距離1:行動半径0.03)。でもトイレから2階までは12メートルあるから(移動距離1:行動半径2)耐えがたいほどの苦痛を感じるのに違いありません。
移動距離と行動半径は比例する……だから大昔から人間の生活の中には旅があり、
旅によって社会や文明が発達してきたといえるのではないでしょうか。
ああ早く旅がしたいな~
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かんちゃん (火曜日, 19 1月 2021 14:36)
算数の計算で弾き出されるとは!確かに旅先ではアクティブなのに、家の中ではこたつの周りになんでも置いてしまいます。私も旅がしたい。
雛澪 (木曜日, 21 1月 2021 01:03)
かんちゃん、私もそれが理由で実家を出てからはこたつを置いていません。
今使っているちゃぶ台はこたつの机だけど。