民謡の練習がてら一人カラオケに行って北原ミレイさんの「石狩挽歌」を唄ってると涙が出そうになりました。
昨年末に亡くなったなかにし礼さん作詞のこの唄は、かつてニシン漁で栄えた北海道の漁村の様子とニシンが去ってからのさびれた村や町の様子を描いています。
江差、小樽、増毛といった、日本海に面した町は大正から昭和初期にかけてニシンの大漁により道内各地や内地(本州)からも人々が大挙し、たいへんなにぎわいでした。北前船が北海道のニシンかす(大変よい肥料として取引された)や昆布を西日本に運び、代わりに西日本の文物が北海道にもたらされました。西日本のだし文化はこの時の昆布交易によってもたらされたものです。江差追分やソーラン節をはじめとする北海道民謡にもニシン漁の様子が唄われ「江差の五月は江戸にもない」という言葉が語り継がれています。ニシン漁最盛期である五月の江差は、江戸にもないほどの賑わいである、という意味です。
しかし、日本が高度経済成長期に入るのと反比例するように北海道の沿岸からニシンが姿を消してしまいます。それまで栄えていた地域から人々が都会へと流出し、北海道の日本海沿岸は中央から訪れにくい土地柄もあいまって、取り残された場所となってしまいました。観光業で今なお発展を続ける小樽を除いてはたいへん寂しい状況です。でも、これら日本海沿岸の土地を旅してみると、昔の華やかなりし頃の歴史をきちんと保存しつつ、静かで穏やかな人たちが今も自分たちの土地を愛し、生活しておられます。
わずかな時間であってもその土地の空気に触れ、大げさな観光施設などなくてもその土地の生活に根差したものに関わってみること、ただ何もせずそこにある風景を見てそこにある道をただ歩く。これこそ旅の醍醐味です。私は札幌も函館も大好きですが、増毛も江差も本当に大好きです。いつでも帰れる、ふるさとのようなところです。そして北海道というところは、こんな思い上がった「にわか北海道人」の旅人をも受け入れてくれる、懐の広い土地なんです。
なかにし礼さんは、お兄さんがニシン漁で失敗した借金などを背負わされ大変苦労されたと聞いています。そして「石狩挽歌」にもやん衆とか朝里とかオタモイ岬のニシン御殿とか、北海道マニアにとってはたまらない単語がいっぱい出てきます。
ああ……また北海道に行きたくなってきました。私はモノにはほとんど執着がありませんが土地愛はかなり強いのです。もしものすごくお金があったらビジネスホテルでも民宿でもいいから北海道とパリと東京と大阪に1か月交代で暮らしたいくらいです。早く旅に出たいよ~。
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